『ちゃんと』を手放す勇気。頑張りすぎない私の家事サバイブ記録
完璧な「ちゃんと」を目指して疲弊した日々
仕事と育児、そして家事。限られた時間の中で、すべてを「ちゃんと」こなそうともがき、息切れしてしまう日々に心当たりがある方は少なくないのではないでしょうか。私もかつて、そうでした。
「部屋はいつもきれいにしておくべき」「食事は手作りが基本」「洗濯物はきれいに畳んでしまう」……。頭の中には、理想とする「ちゃんとした暮らし」のイメージがありました。それに近づこうと、無理をして夜遅くまで家事をしたり、休日も片付けに追われたり。しかし、現実は思い通りにはいかず、家事が完璧にできない自分に罪悪感を覚え、家族にもイライラをぶつけてしまうこともありました。
周りの人はもっとうまくやっているのではないか。SNSで見かけるきれいな部屋や手の込んだ食事の写真を見ては落ち込み、「自分はダメな母親、妻、そしてパートタイマーだ」と自己否定を繰り返していました。体力的にも精神的にも、ぎりぎりの毎日だったのです。
『ちゃんと』を手放す小さなきっかけ
そんな日々の中で、ある時ふと立ち止まる瞬間がありました。子どもが風邪をひいて看病に追われた週末、部屋は散らかり放題、食事はレトルト、洗濯物は山積み。それでも、子どもが少しずつ元気を取り戻し、私の隣で安心して眠っている姿を見た時、完璧ではないけれど、目の前の大切な命を守れている、これで十分ではないか、という思いが静かに湧き上がってきたのです。
そして、同じように大変な状況を乗り越えている友人との会話も、私の考え方を変えるきっかけとなりました。彼女もまた、家事は完璧ではなく、時には「今日は何もできなかった」と笑っていました。それでも、家族が笑顔で過ごせているなら、それで十分だ、と話す彼女の言葉に、肩の力がすっと抜けるのを感じたのです。
「サバイブ家事」の知恵:『ちゃんと』を手放してみたら
そこから、「完璧な『ちゃんと』」を手放し、「自分がサバイブするための家事」へと意識を切り替えていきました。
まず、家事の優先順位を見直しました。食事は栄養バランスを考えつつも、時にはお惣菜や冷凍食品、ミールキットに頼ることを自分に許可しました。掃除は、「毎日すべてをきれいにする」のではなく、汚れが気になったところだけ、短時間で済ませるようにしました。例えば、キッチンは使うたびにコンロ周りをさっと拭く、リビングは週に一度まとめて掃除機をかける、など、最低限これだけはやろうというリストを作りました。
洗濯物も、以前はすべてきれいに畳んでそれぞれのタンスにしまっていましたが、下着や靴下は畳まずにケースに入れる、タオルは乾燥機からそのまま使うなど、工程を減らしました。着るものに困らなければ、それで十分です。
また、「〇〇でなければならない」という思い込みを手放す練習をしました。「部屋は常に片付いているべき」「手作り料理こそが愛情」といった、自分を苦しめる固定観念に気づき、それは本当に必要だろうかと問いかけ直しました。家族にとって一番大切なのは、完璧な家事よりも、心穏やかな私であることだと気づいたのです。
そして、小さなことでも「できたこと」に目を向け、自分を褒めるようにしました。「今日は食器を全部洗えた」「洗濯物を干せた」など、当たり前だと思っていた家事も、忙しい中でこなした自分の努力として認めました。
完璧でなくても、日々は回る
「ちゃんと」を手放してみると、驚くほど心が軽くなりました。もちろん、家事が滞ることもあります。でも、それで家族から責められることも、私自身が自分を責めることも、以前よりずっと減りました。完璧ではないけれど、日々は滞りなく回っていきます。
他のサバイバーの方々の記録の中にも、「手抜き」や「やらないことリスト」といった工夫がたくさんありました。自分だけが大変なのではなく、皆、それぞれに工夫しながら困難な状況を生き抜いているのだと知り、大きな安心感を得ました。
「ちゃんと」を手放すことは、決して手を抜くことや諦めることではありません。自分と家族にとって何が本当に大切かを見極め、限りあるエネルギーをそこに集中させるための、賢明なサバイブ術なのだと感じています。完璧を目指すのではなく、自分にとって、家族にとって心地よいと思える落とし所を見つけること。それが、忙しい日々を心穏やかに乗り越えるための、私なりの「サバイブ」の記録です。
完璧でなくても大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、今日もまた、自分にとっての「これでいい」を探しながら、日々を過ごしています。