未来の心配より「今日」に目を向ける。私の小さな不安との付き合い方
漠然とした将来への不安と「今日」という日
日々を過ごしていると、ふと立ち止まり、将来に対する漠然とした不安に襲われることがあります。子どもの成長、教育費、自分自身のキャリア、親のこと、そして経済的なこと。考え始めるときりがなく、雲のように形を変えながら心の片隅に重くのしかかる。具体的な課題として捉えきれないだけに、どう向き合えば良いのか分からず、ただただ不安に圧倒されてしまう。
このサイトには、同じように様々な困難と向き合いながら日々を生き抜く方々の声が集まっています。私自身も、そんな「リアルな声」に触れるたびに、自分だけではないのだという安心感を得ています。今回は、私自身が経験している、漠然とした将来の不安とどうにか付き合っていくための、小さな「日々の記録」を共有させてください。
「ない」ものばかり数えて疲れてしまう日々
かつての私は、将来のことを考えるとき、「〇〇が足りない」「△△がないとダメになるかもしれない」と、自分が持っていないものばかり数えては、暗い気持ちになっていました。十分な貯蓄がない、専門的なスキルがない、子どもとの時間も仕事も中途半端、周りの人はもっと計画的にやっているように見える...。特に、SNSなどで見かける「理想的な暮らし」や「輝かしいキャリア」を目にすると、自分の現状とのギャップに焦りを感じ、漠然とした不安がますます大きくなっていきました。
「このままで、本当に大丈夫なのだろうか」。その問いは、答えが見つからないまま、日々の生活に薄暗い影を落としていたように思います。不安を感じること自体に疲れてしまい、思考が停止してしまうような状態でした。
未来の心配より「今日」に目を向ける小さな工夫
そんな私が、少しずつですが、この漠然とした不安と付き合えるようになってきたのは、「未来」ばかり見ていた視点を、「今日」という日、そして「今、ここ」に戻すことを意識し始めてからです。
まず、不安が襲ってきたとき、「これは漠然とした不安だな」と認識するようにしました。そして、「今、具体的に何が起こっているわけではない」と心の中で呟きます。もちろん、すぐに不安が消えるわけではありませんが、これは現実的な危険ではなく、思考が生み出している不安であると区別する第一歩です。
次に意識したのは、「今日という一日」に焦点を当てることです。将来の大きな課題を前にすると、自分は何もできていないように感じてしまいます。しかし、どんな一日であっても、私たちは今日を生き抜き、小さな「できたこと」を積み重ねています。子どもにご飯を作った。洗濯物を畳んだ。仕事で一つタスクを終えた。誰かに優しくできた。美味しいコーヒーを飲んだ。
ノートの片隅に、あるいはスマートフォンのメモ機能に、「今日できたこと」を三つだけ書き出す習慣をつけてみました。些細なことで構いません。「子どもが笑ったことを見れた」「夕食の買い物に行けた」「自分にありがとうと言えた」など。最初は「こんな小さなこと」と感じましたが、続けていくうちに、どんな日にも必ず「できたこと」や「良かったこと」があることに気づきました。
これは、将来への不安を無視することではありません。漠然とした不安を抱えながらも、「今日」という現実をしっかりと生きている自分を肯定する作業です。「明日」や「未来」がどうなるかは誰にも分かりませんが、「今日」を丁寧に生きることは自分自身で選ぶことができます。この小さな積み重ねが、漠然とした不安に対する、ささやかな、しかし確かな抵抗力になっていくように感じています。
完璧な答えがなくても、日々は続く
将来への不安に明確な答えを出すことは難しいかもしれません。経済的な状況が劇的に変わるわけではないし、キャリアパスが突然開けるわけでもない。しかし、私たちは日々を生きています。子どもは成長し、時間は過ぎていきます。
漠然とした不安がある中で、「今日」という一日に目を向け、小さな「できた」を積み重ねていくこと。それは、遠く霞んで見えるゴールに向かって、大きな一歩を踏み出すことではないかもしれません。でも、足元の石ころにつまずかないように、一歩ずつ、自分のペースで進んでいくための大切な支えになります。
もし今、あなたも漠然とした将来の不安に押しつぶされそうになっているなら、一度、遠くを見るのをやめて、今日の足元に目を向けてみませんか。きっと、あなたが思っている以上に、たくさんの「できたこと」や「あるもの」が、すぐそこにあるはずです。そして、そうやって「今日」を積み重ねていく力こそが、私たち自身のサバイブ力なのだと、私は感じています。